現在の周術期の術後鎮痛は複数の鎮痛法を組み合わせて行うmultimodal analgesiaが基本ですが、そのなかでも神経ブロックは特に重要な役割を担っています。医療用麻薬(オピオイド)は優れた鎮痛作用をもつ一方で、鎮静、嘔気?嘔吐、呼吸抑制など、術後の回復を妨げる副作用があります。周術期の術後鎮痛として神経ブロックを行うことで、医療用麻薬の使用量を制限し、副作用を少なくすることで患者さんに質の高い術後管理を提供することが可能です。また、近年の超音波装置の発展により、超音波ガイド下神経ブロックは急速に発展しており、新しい様々な神経ブロックが報告されています。当講座は新しいだけでなく、エビデンスに基づいた神経ブロックを周術期管理に取り入れることで、質の術後鎮痛を行うように努めています。本邦でも2014年に日本区域麻酔学会が設立され、教育ガイドラインの発行、認定医制度?指導医制度の発足、日本区域麻酔検定試験(J-RACE)の開始など、神経ブロックに関わる知識?技術?教育の普及が積極的に行われています。
当講座では麻酔科専攻医を対象に麻酔に関わる系統講義(新浪体育麻酔塾)を行っています。神経ブロックに関しては60分間の講義を行った後に、モデルを用いたハンズオンセミナーを行っています。超音波ガイド下神経ブロックの習得のためには正しい超音波解剖の理解に加えて、超音波プローブの操作に習熟する必要があります。ハンズオンセミナーでは日本区域麻酔学会認定医?指導医の資格をもつ教室員が教育ガイドラインに基づいた指導を行っており、麻酔科専攻医が基本的な神経ブロックを習得することを目的としています。また、当講座は本学サージカルトレーニングセンターの協力のもと、「Thiel法固定遺体を用いた麻酔科ワークショップ」を行っています。当講座のワークショップは2014年に全国の大学に先駆けて行われ、10年以上の歴史があります。本ワークショップは組織の状態が生体に近いThiel法固定遺体を使用しており、参加者が臨床と同じ環境で神経ブロック針の穿刺、薬液の投与を行うことが可能です。本ワークショップも学会認定医?指導医の資格をもつ教室員が専攻医に指導を行うことで、麻酔科専攻医の神経ブロックの技術向上に寄与しています。また、ワークショップでは献体を用いて最新の神経ブロックに関する解剖学的研究を行っており、毎年、当講座から神経ブロックに関する質の高い研究が報告されています。
国際疼痛学会によるガイドラインでは、私達が経験する痛みは3種類に分類されています。組織の侵害受容器が興奮することで起こる痛みが①「侵害受容性疼痛」です。怪我や手術などの組織損傷に伴う痛みが侵害受容性疼痛であり、私達が日常生活で経験する多くの痛みは侵害受容性疼痛に分類されます。侵害受容性疼痛の原因は組織の損傷であるため、組織修復とともに軽減することが一般的です。これに対して末梢神経または中枢神経が損傷することで起こる痛みが②「神経障害性疼痛」です。「神経障害性疼痛」は神経組織が損傷することで起こる様々な病的変化が原因であるため、神経組織が修復した後も痛みが継続します。侵害受容性疼痛が急性痛の代表であるのに対して、神経障害性疼痛は慢性痛の代表とされています。侵害受容性疼痛、侵害受容性疼痛とは異なり、痛みの原因となる器質的な異常がないにも関わらず起こる痛みが③「痛覚変調性疼痛」です。痛覚変調性疼痛は痛みの原因が明らかではないため有効な治療法は確立されていませんが、「神経障害性疼痛」の治療に準じた薬物療法により痛みの軽減が得られる場合があります。
痛みは大きな苦痛を伴うため、患者さんの日常生活を著しく損なうことが大きな問題となっています。ペインクリニックでは患者さんの痛みの原因を診断し、ガイドラインに基づいた適切な治療を提供します。神経障害性疼痛に対しては、中枢神経の痛みの伝達を抑えるガバペンチノイドによる薬物療法が第一選択とされています。また、セロトニン?ノルアドレナリン再取り込み阻害薬も神経障害性疼痛に有効であることが報告されています。これらの薬物療法でも痛みの軽減が困難な場合は医療用麻薬(オピオイド)を副作用の出現に十分に注意しながら使用する場合もあります。また、当講座のペインクリニック外来では、手術を受ける患者さんの術後鎮痛に行う神経ブロックも神経障害性疼痛の治療に活用しています。従来はX線使用下で行われることが多かった神経ブロックですが、現在は超音波ガイド下で行うことで患者さんの被ばくを防ぐことが可能です。超音波では観察が不十分となる体の深部の神経ブロックに関しては従来通り、X線を使用して神経ブロックを行っています。当講座では薬物療法、神経ブロックで痛みの軽減が十分ではない患者さんには先端医療である脊髄刺激療法を行うことも可能です。神経障害性疼痛は難治性疼痛とも呼ばれており、患者さんの痛みを完全になくすことは困難ですが、薬物療法、神経ブロック、脊髄刺激療法を組み合わせる集学的治療を行うことによって痛みを軽減し、患者さんが健やかな日常生活を送れるようにすることを目標としています。